とくに不登校の子どもとその親の立場から見えてくるこの法案の問題点について、親の会である「登校拒否を考える会・佐倉」の下村小夜子がまとめた文書です。 →PDF版


「義務教育の段階に相当する普通教育の多様な機会の確保に関する法律案」
(「多様な教育機会確保法案」)未定稿を読んで検討した問題点


2015年8月25日 登校拒否を考える会・佐倉 下村小夜子
 
 2015年8月11日付で公開された「【未定稿】義務教育の段階に相当する普通教育の多様な機会の確保に関する法律案」は、とくに家で過ごしている不登校の子どもたちとその家庭の立場から考えたとき、多くの問題点があります。問題点を下記のとおり整理してみました。

1.これまで、この法案は「『普通教育法制の2本立て法』となり、学校教育法制の補完法にはならない」と説明されてきたが、公開された法案は、あくまで学校教育法の特例という位置づけである。2本立ての法律には今後もなり得ない。

2.「個別学習計画」の内容や実施のしかたには明確な縛りが定められている。これらを通して、家庭への行政の介入が法によって制度化・正当化され、行われる。
・この法案は、主語(主体)がほとんど「国」「地方公共団体」「教育委員会」になっていて、主導権は行政が握っています「本人」が主語になった言い方は皆無です。 
・ 座長試案では教委の下に支援委員会をつくって、そこに民間も入るということでしたが、条文案では「関係者の意見を聴く」(第6条第3項)(第12条第4 項)としか書かれていません。意見を「聴く」といっても、形式的になる恐れも十分あります。実際、この法案も、3回ヒアリングしたにもかかわらず、内容は座長試案よりきついものになってしまっています。
・7月26日の「実現する会総会」では「認定ではなく認証を」という意見が多く出ましたが、この条文では、あくまで教育委員会が「認定」するもので、親は報告(第16条)を求められ、計画の変更の勧告(第15条)を受け、さらに認定取り消し(第15 条第2項)もありえます。座長試案よりも、教育委員会の権限が大きくなっています
・「個別学習計画」について、その内容は「学校教育法第二十一条各号の目標を達成すること」(第12条第3項第4号)と定められています。また、試案にあった「保護者は子どもの状況を考慮し」も削除されています。実現する会総会では「学ぶ内容は遊びでもいい」という説明でしたが、現実にはこのように縛りを定めています。つまり、この法律によって「教育の機会」が多様化されるとしても、学びの内容や、子どものあり方の多様性が認められるわけではありません。
・「児童の権利に関する条約等の教育に関する条約の趣旨にのっとり」(第1条)とか、基本理念に「普通教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ」(第2条)と入ったのはよかったと思います。しかし、条文の中身そのものが、それに矛盾したことを決めています。本当に尊重するなら「個別学習計画」そのものが不要なはずです。
  
3.あくまで今の学校の中で「行かない」育ち方を位置づけさせるべきではないか? 
  今までは、学習していなくても、ゲームをやっていても、卒業は認められてきました。しかし、この法案が通れば、子どもはまったく休めなくなります。いじめ 自殺を防ぐためというならば、この法律を通すことよりも、今まで認められてきた事実を学校教育法の中で全国の校長たちに「本人の状況を考慮し」ということ で、きちんと位置づけさせる、ということを要望すべきではないでしょうか? もっとも大切なのは、子どもたちが十分休めるということであり、それをいかに 保証していくかということだと思います。学校をはじめ、広く社会に、「不登校の子どもの権利条約」の「第1条.学校に行く行かないを決める権利」を認めさ せることではないでしょうか?

4.この法案は義務教育の一部民営化・自由競争化につながる。塾産業が入ってくることで、親が経済的・精神的にさらに苦しくなる。
 親達としてはどうしても誰かに頼らざるを得なくなります。そこをねらって、通信教育など、教育産業が全国的に参入してくると予想されます。

5.子どもの排除が制度として正当化され、現実化する危険性がある。
  登校しているけれど手のかかる子どもに、学校がホームエデュケーションやフリースクールを勧めてくるという事態も考えられます。現実に、「特別支援教育法」ができてから、特別支援学校や特別支援学級が全国にでき、障がいのある子がさらに細かく分けられ、排除が進んでいる状況です。そこへもう一つ、排除の構造が増える形になります。現に、「障がい児を普通学級へ」の運動を展開している会やネットワークは、自分たちの経験をもとに、今回の法案にも反対を表明しています。

6.フリースクールなどへの財政支援については、学びの場としてだけでなく、子どもの命を支える場としての公共性を訴え、認めさせるべきではないのか?
 フリースクールや居場所は、「学びの場」としてだけではなく、まずは、あくまで子どもの育ち、生きることそのものを支える活動としてとらえるべきだと思います。

7.子どもが望まない教育的な「支援」が押しつけられるのではないか?
7月26日の「実現する会総会」では、喜多明人氏は「支援機構の新設」を謳っていましたが、条文では相談体制の整備は努力規定になっています(第11条)。 NPOや親の会がかかわれる地域は限られています。教育委員会がひとりひとりの子どもや親をフォローし、そのほんとうの望みと必要とを理解して支援を行うのは、難しいのではないでしょうか。そもそも、家庭を教育の場として位置づけて「支援」しようとする構図(第14条)そのものに問題があるといえます。

8.学籍による新たな差別(学校籍と教育委員会籍とできてしまう)が生まれうる。
  この法案が推進されている根拠の一つに「二重学籍の解消」がありましたが、法案が通っても、修了認定は教育委員会がするのであって、フリースクールなどが 独自にできるわけではありません。二重学籍は解消されないばかりか、一般の学校とは異なる修了認定となることによって、学籍による新たな差別ができるのではないでしょうか?

【まとめ】
 この法案が、ほんとうに教育の多様性を確保するとは思えない。機会のみが多様化したとしても、かえって教育機会の均等を損ね、結果として経済力・地域などによって格差・分断が生じうる。全国各地で起こるであろうこれらひとつひとつの事態に対して、実効力のある対策が現実的に可能なのだろうか。
・立法にかかわる方々がどんなに善意をもち、子どものためを考えていたとしても、法案はその文章がすべてです。書かれた条文が拘束力・強制力をもち、子どものあり方を定め、全面に影響をおよぼすというのが現実です。
・私たち親の会が手の届く範囲はごく一部。現実には、力関係で子どもと親では決定的に子どもが不利。また、親と行政でも、力関係では親が不利です。
・全国の親の受ける影響(圧力)は計り知れません。「意見を聞いた」「本人がいいと言っている」と言って親が子どもを追いつめる、また、学校が親を追いつめる事態は今でも枚挙にいとまがありません。
 法律の影響は全国津々浦々にまで行き渡ります。一部の子どもの状況が少しよくなったとしても、他の大多数が今より厳しい状況になってしまうことが十分に想定されます

 以上