当ネットワークに参加する、不登校を経験した当事者と親の方々の不登校法案に対して白紙撤回を求める声と意見表明です。皆さんに許可をいただいて、ご意見を掲載させていただきます。


本法案の立法の趣旨はフリースクール法をつくるところにありました。しかし、今やフリースクールに対応する部分が削られ、不登校対策法に姿を変えてきました。「衣の下から鎧」が現れました。
不登校を経験した当事者や親の方々がどう感じているのか、どう考えているのか、現場からの声・意見を聞いて下さい。
年間12万人余の不登校をしている子どもたち、いじめや体罰などで学校を休みたくても休めない子どもたち、「心は不登校、からだは登校」の子どもたちは少なくとも50万人以上いると推定されます。
すべての子どもたちの最善の利益についてともに考えていただきたいと思います。

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不登校を経験した当事者、不登校の子どもを持つ親の法案反対の意見



不登校を経験した当事者 30歳

『義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案』を、夜間中学のみの法案にしていただくことを要望します。
私は「不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会ネットワーク」に所属しています。
お忙しいなか、このようなお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。
私は小学校でいじめにあい、中学2年でエネルギーが切れるように学校に行かなくなった、不登校経験者です。
元当事者として、今回の法案は、白紙に戻してほしいと願ってきました。
3月8日に行われた議連立法チームのヒアリングに陪席させていただき、配られた3月8日の法案の条文を読みました。

「個別の状況に応じた」(第三条)
「学校において不登校児童生徒に対する適切な支援が組織的かつ継続的に行われることとなるよう、不登校児童生徒の支援の状況に係る
情報を教職員、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者その他の関係者相互間で共有することを促進する」(第九条)
「不登校児童生徒に対しその実態に配慮して」(第十条)
「学校以外の場における学習活動等の継続的な把握」(第十一条)
「心身の状況を継続的に把握するために必要な措置を講ずる」(第十二条)
「不登校児童生徒の状況に応じた」(第十三条)

これらの文章を読んだとき、2月2日、3月4日の条文から内容は変わっていない。「不登校の子どもの管理法案」になっていると、強い危機感を感じました。
学校でいじめ・体罰・セクハラなどの被害にあい、精神的に傷ついて家庭というシェルターに避難しても、「あなたの状況に応じた支援をしたい」と、学校の目が追いかけてくるのです。「必要ないので、そっとしておいてほしい。家には来ないでほしい」と望んでも、「法律で決められていますから」ということが起きてくるのではないかと、強い懸念を抱かざるをえません。
知らない人に、自分がどういう被害にあい、現在どんな状態でいるかの情報を把握され、共有され、管理される。心を踏みにじられるような人的被害をうけた人間にとって、これはとても怖いことです。「知らない人が家にやってくるのではないか」と、常に緊張状態でいることを強いられます。「休養の必要性」(第十三条)と記載されても、それが学校や教育関係者の視線にさらされながらの「休養」なら、それは休養ではありません。誰かに見られながら、管理されながら心をやすめることなど、できません。
この法案は、家庭、あるいは他の居場所をシェルターに生活している子どもから、生存権すら奪いかねないものです。
どうか、立法を急がず、当事者、そして保護者の声を、広く、丁寧に聞いていただけますよう、お願い申し上げます。そして、この法案は、夜間中学のみの法案にしていただけますよう、切にお願い申し上げます。



不登校を経験した当事者 A.O

私は昔、不登校でした。学校へ行くことが只々苦痛でした。でも、家に居れば楽に過ごせたわけではありません。「自分は学校に行けないダメな人間なんだ」と自分を責めていたからです。こう云う時、体は動きません。「ダメ人間でなくなるために学校へ!」と行けるものでは無いのです。そして次に思います。「ダメ人間でごめんなさい」「ダメ人間なのに生きていてごめんなさい」と。これは決して私一人の特殊な考え方ではないと思います。多くの不登校の子は、只、学校に行けないと云うだけで自分を責め、時には生きている事すら悪い事だと思い詰めたりしてしまいます。     
そこへの「皆、待ってるよ。学校へおいで」等の働き掛けはもちろん、「学校がムリならフリースクールもあるよ」「それもムリなら家で勉強したら?」等、働き掛ける側がどんなに善意からでも(いや善意であればこそ)自分を責めている当事者には凶器になります。「皆がこんなに色々してくれているのに、自分はそれに応えられない超ダメ人間だ」と思わせるのに充分だからです。この法律案は、この“凶器”を多量に生む危険を孕んだものです。今まで「かわいそうだけど何もしてあげられない…」と思っていた(そしてそっとしておいてくれた)人達が、善意で「学校へ行けないなら個別学習計画を出すといいよ」と言ってくるかも知れない…。先生が…学校関係者が…教育委員会が…そして保護者が。これは不登校経験者の私には、もはや恐怖でしかありません。
自分を責めている不登校の子に必要なのは、「学校に行かなくたってダメ人間なんかじゃない」と実感できる環境です。「行かないなら個別学習をすれば良い」では、必要な実感は得られません。どうか議員の皆さん、辛い思いをしている不登校の子に良かれと思うのであれば、この法律案を通すのではなく、「何もしない今のままだって何も悪くない!ダメじゃない」と思える社会を造って下さい。
※この文章は2015年9月の『馳座長試案』を受けて書かれたものです。どのように法案を書きかえられようと不登校をしたことで存在を否定された当事者の思いは変わりません。



親の会 N.A

私には3人の息子がおり、今は義務教育年齢を過ぎていますが3人とも不登校経験があります。幼稚園や小学校の途中から不登園・不登校となり、中学は1日も登校することなく卒業して、今はそれぞれに学校ではない居場所や家庭で過ごしながら、将来のことも少しずつ考え始めています。21歳の長男に先日、この法案の最新の骨子を見せたところ「こんなもの、やめてくれ!」と言っていました。法案の内容はどんどん書き換えられていますが、前座長案のときからこの法案は学校外での学びを学校での学びと対等な位置に置くものではありませんでした。しかも書き換えられるたびに、学校外の学びを認める内容から不登校対策へと内容がシフトしており、休みがちになった子どもの管理を強化し、各関係機関で情報を共有し、学校復帰をより促す。それでもどうしても来られない子は仕方がないから、その子たちのための場所を公で用意したり、民間や家庭での学習も容認する。それでもやはり学校の学習を第一としているという内容です。文科省で進めている、不登校を休んだ日数でさらに細分化して管理するという施策ともリンクさせてようとしているように見えます。
我が子が不登校になっていた合計10年間の義務教育期間の経験から言わせていただくと、不登校になっている子どもの大多数は心が疲れた状態で家にいて、この法案で用意されようとしている「支援」を望んではいません。長男が「やめてくれ」と言ったように、家にいる大多数の子どもが望んでいるのは、とやかく言われずに家でゆっくりできる時間を保障されることです。その時間が保障されれば、やがて学校に戻るのであっても別の道を進むのであっても、本人が自分で考えて決める力を取り戻します。学校的な学習は最初は手を付ける気力などないし、進む道によっては必要ない場合もあります。
議員のみなさんがよかれと思って進めてくださっていることが、子どもたちのためになるとはとても思えない内容になっています。たとえ「多様な」とか「休養の必要性」というような言葉が盛り込まれても、法案全体にそういうまなざしがない以上、あくまで条件付きのものに終わると思います。現状でも小中学校には1日も登校しなくても、将来に不利にならないよう卒業が認められ、何らかの理由で苦しくて学校に行けないことは正当な事由として認められています。この法案ができるとそこに条件がつけられ、学校を休んでいる子はさらに追い詰められます。どうかそこのところを知っていだたいて、夜間中学の法案とは分けていったん白紙に戻していただけるよう、切にお願い申し上げます。



親の会 K.T

教師の暴力的威圧的な態度により長女が不登校になった時、登校出来なくても勉強はさせるのが『長女のため』と想い塾に行かせたりした結果、長女は夜驚症を起こし毎晩泣き叫んだり、音の聞こえ方がおかしくなるような状態になってしまいました。
その後しばらくして、次女が学校になじめず、五月雨登校になってきた時、この子だけは不登校になって欲しくない。普通でいるのが『次女のため』と私は必死で学校への送り迎えをしていた結果、次女は毎日毎日「死にたい、死にたい…。」と長女に言っていたそうです。
親の会に出会い、学校より子どもの命が大事と心の底から思えた時、子ども達は家で安心して過ごし穏やかに生活できるようになりました。
次女は現在中学1年生で葛飾シューレ中学に在籍しています。この中学に入学したのは、小学校で不登校をしていた時、校長先生にしつこく本人確認をさせて欲しいと言われ、それが嫌だったからです。
確かにこの中学は安心して家で過ごすことが出来ますが、全く行かなくても当然授業料が発生します。行かない学校にお金を払うより、自分の好きなことの為に使う方がいいのではないか・・と本人が考え、地元の中学へ移る事を考え始めていた時に、この法案の情報が入ってきました。
この骨子案の内容を読むと、地元の中学で不登校となれば、『支援』という名目で家に知らない人たちが来るのではないかと娘は怯えています。それを考えると地元の中学には行けません。この法案が成立すれば、現在の安心できる生活を確保できなくなるなんて、一体誰のための法案なのかと思います。
不登校の子や辛い状況で学校に行き続けている子のことを考えてくださるのは、とてもありがたいことです。しかしその子達が困るような法案では全く意味がなく残念に思います。最も辛い思いをしている子達が、社会の規範に縛られ自分を責めるばかりで何の声も上げられない状況があります。
現在の不登校をさせず学校復帰が強調され管理が強まる骨子案は一度白紙にしていただき、まず、辛い立場にある子どもたちの声に耳を傾けていただきたいです。


親の会 H.H

小5で不登校になり、現在中3の我が子は、「(多様な)教育機会確保法案」には異議があるようです。不登校経験のある友人達に「自分達の問題なのだから、ちゃんと考えないとダメだよ!これは、オレ達の為じゃなくて、親の為の法律だと思う」と友人たちに話しているそうです。
最初はポカーンと聞いていた友人が、私が長男にしてきた、親の心配からくる、様々にかみ合わなかったことを友人に話すと(親がカウンセラーに相談して、カウウセラーのアドバイスにしたがって長男がやられたことで、長男がムカついたことなど)「そうだよ!俺もさ・・・・!こんなことがあった!あんなことがあった!それは、ひどい!」と急にしゃべりだし、話しが盛り上がったそうです。
子どもに良かれと思って、親は、あれこれ走りまわり、子どもに対して、言ったり、やったりします。それは、親自身の不安を打ち消すためのことがほとんどです。「親の会」では、そんなことが話されると「私もそうだったよ」と共感的に受けとめられ、その共感の中で、少しずつですが、親も子どもの思いに気がついていきます。
今回の法案は、そんな親達の数々の過ちを、個人的な問題ではなく、制度として固定化させてしまう危険を感じています。個々人の過ちであれば、個々人が気がついた時から修正していけますが、法律となってしまうと、強制力が働きます。そこに、親の会の仲間たちは大きな危機感を感じて、法案の白紙撤回を求めています。



親の会 S.O

埼玉県草加市の地域で小さな親の会を25年続けてきました。私の娘と息子は小学校低学年から、体の症状なども出て不登校になりました。現在は30代になり、それぞれ元気に過ごしています。地域の会で出会った子どもたちを思い起こすと、フリースクールに通っていた子はごく一部です。ずっと家で過ごして、義務教育年齢を過ぎてから動きだした子も多いです。それぞれに、しっかりした信頼できる社会人になっています。

当初出された前座長試案の「個別学習計画」には愕然としました。あの条文がそのまま通れば、一番辛い状況の子どもと親を強く抑圧してしまったことでしょう。「学力を保障する」という善意からだとしても、状況によって命にかかわるほど子どもを追い詰めてしまったと思います。何より不登校の子どもがどのように辛いかを認識せずに書かれた条文だと思いました。「個別学習計画」が削除されてほっとしています。けれども、新しい試案の骨子を見ても、まだ、子どもの状況を理解していただけていないと感じざるを得ません。「不登校していても大丈夫だよ」という心からの安心感は、「フリースクールもあるよ」「こんな学習もできるよ」と提示されることで得られるものではない。無条件に「今のありのままでOKだよ」と感じられる状況が必要なのだと思います。
娘は「自分は学校に行かないダメな人間だから、呼吸して空気を汚すことに罪悪感があった」と言いました。親の私は、結構笑顔で一緒に外出していたし、そんなに辛かったとは気づきませんでした。娘は「にこにこ元気でいなくちゃいけないと思っていた。でも、にこにこしていられる元気はあったっていうことだね」と言いました。昼夜逆転したり、外に出られない子たちはもっと元気が出なかったのだろうと。
私自身立派な親ではありません。毎日一緒に過ごしている親でも気づけない子どもの思い・心の痛みと苦しみがあります。まして、学校の先生、教育委員会の方に見えないこと、気づいていただけないことは、たくさんあって当然、やむをえないと思います。
25年間、親の会を続けてきて深く感じているのは、子どもを甘く見てはいけないということ。子どもは全身で感じとり、一所懸命頑張って、頑張り続けられなくなった限界で動けなくなります。大人が「子どもによかれ」と思ってあれこれ働きかけ、善意であることを感じとれば感じとるほど、子どもはそれに応えられない自分を責めて苦しんでしまいます。子どもに対して何かの方策をとる場合は、子どもの心の底をしっかり汲み取らなければいけない。今、渦中にある子どもの声を聴くことは難しいとしても、体験した当事者の声を真摯に聴きとって法案を作成して下さいますよう、切にお願いいたします。
草加市の隣の川口市には「自主夜間中学」があります。そこの方たちは30年間、週2日公民館の会場を借りて学習したい人たちから「授業料」を一切とらず、ボランティアで学びの場を続けてきました。それと並行して、埼玉県に公立の夜間中学校を作ることを求めて運動していらっしゃいます。埼玉県知事は「国の動きを見て決める」と回答し続けています。学校教育の場から学校教育法に合わないからと排除されてきた「夜間中学」の方たちの問題と、学校教育の中で傷ついて「不登校」になってしまった子どもの問題を「教育の機会の確保」という文脈でひとつにまとめてしまうことは大変乱暴な論理だと思います。どうか、夜間中学の問題と、不登校の問題を分けて、法律を作って下さい。私は、夜間中学の方たちが待ち望んでいらっしゃる法案は速く実現していただき、そして不登校の子どもの問題は、当事者の声を充分に聞くことも含め、もっと丁寧に検討して法案を作成していただきたいと思います。
「骨子」第三の二を読んで「ああ、また先生たちがきつい状況になってしまう‥」と感じ、ため息が出てしまいました。娘の小学校時代から、担任の先生と連絡をとるために職員室に足を運ぶ機会も多くありましたが、先生たちが職員室で机に向かっている様子にどんどんゆとりが無くなってゆくのを感じていました。法律で自治体と教育委員会、学校に指示するだけでは、現場の方の負担が増すばかりです。学校現場の先生方の声もしっかり聞きとって法案を作成して下さい。子どもと先生がゆっくり顔を見合って一緒に笑いながら過ごしてゆける学校、子どもたちが、あれこれ自分で試したり、まちがえたりやり直したりしながら、自分の人生を作ってゆくことをサポートする学習環境の実現を願っています。
様々な方針や政策が繰り返し出されながら、不登校もいじめも無くならないのは何故なのか、今までの日本の学校教育の問題をかえりみずに「子ども」と「教師」を動かしてしのごうとすることはもうやめていただきたい。ハードワークに陥って心身を壊してゆく先生たちも後を絶ちません。現在の枠組みの中で苦心を重ねている多くの関係者に下駄を預ける法律ではなく、大前提の枠組みを緩やかで健全なものに広げてゆく法律をこそ、作っていただきたいと切望いたします。



親の会 H.A

私は島根県松江市に在住しています。我が子の不登校から仲間と親の会を立ち上げて、25年になります。
親の会では毎月1回の例会を開き、参加者同志で親の思いや子どもの姿を素朴に素直に出し合いながら、子どもの無言の訴えや苦悩を子どもに寄りそう姿勢で考え合ってきました。その中で出される学校状況は20数年前とあまり変わらず、子どもの苦難はいまだに続いていると感じます。
長年、国の予算を多額に投じて行われている不登校対策ですが、いっこうに改善につながらないのは「不登校の子どもの側に問題がある」として対応してきたからではないでしょうか?
今回の法案も不登校の子どもを更に管理、分別するものになっています。そもそも子どもが行けない、行きたくないのは学校なのです。学校を変える努力をしてください。
息子は小2の時から不登校でした。8歳の時、私の友達グループに誘われて、旅行に行きました。すると担任の先生から「学校に来れないのに家族以外の人と旅行に行ったんですか?」と不思議がられました。彼は旅行には行けましたが、『学校』には行けなかったのです。
不登校は良くない事、不登校にならないように、の考えが今、学校にかよっている子をも苦しめています。ゆとりがなく、競争や管理の辛い学校生活でも、いじめがあっても頑張るしかないのです。学校も家庭も休むことは許してくれないのが実情です。かつて私もそう思っていて、行き渋る息子を更に追い詰めてしまいました。まるで別人のように荒れ、様相も変わっていった息子の姿を今でも思い出します。本当に申し訳ない事をしたと反省すると共に生きていてくれた事に感謝しています。どうか子どもが自分の事情で休める学校にしてください。
学校の制度や学校の文化、空気感を子どもの側、また、世界一多忙な日本の教師と言われる先生の側から検証し、丁寧に議論を積み重ね、根本的に見直してください。
そのためには、当事者、体験者、親の会の意見をしっかり聞いてください。
どうぞよろしくお願いいたします。